2006年07月05日

◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(五)

◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(五)


◆七月七日、七夕(七夕の節句)の由来(五)

◆◇◆七夕と『竹取物語』、「竹中生誕説話」と「三のこだわり」

 『竹取物語』の特徴は、羽衣伝説に加えて「竹中生誕」にある。すなわち、竹から生まれたこととその小ささだ。竹取の翁(おきな)がかぐや姫を竹の中に見つけたとき、彼女は三寸くらいの女の子だった(三寸というと、大体9~10cmほど)。こうしたかぐや姫の誕生は、「竹中生誕説話」といわれている。

 竹は、その驚異的な生長力(「タケ=長ける、猛る」)や、不死と見紛うほどの生命力から、神秘な力を秘めた神聖な存在として、信じられ尊ばれてきた。また、邪霊を払う呪力を持つとされ、弓矢にも使われた。さらに、成長した竹の空洞は女性の子宮にあたるとも言われ、かぐや姫はそういう竹の節が作る神聖空間に生まれたとしている。

 また、『竹取物語』は「三」にこだわる物語だ。かぐや姫を竹の中に見つけたとき、三寸くらいの小ささである。それから「三月(三ヶ月)」の間に普通の背丈まで生長し、その成人のお祝いを「三日」かけて行う。

 彼女への求婚者は現在伝わっている物語・「五難題」型求婚説話(五人の貴人の求婚)では五人だが、文章の中に元は「三人」だったのではないかと思わせる痕跡が残っている(初めは昔話常套の三題物であり、その三題にも幾種かある)。この時、姫から難題を出された求婚者たちはその難題に「三年」かけて取り組み、全員失敗する。

◆◇◆七夕と『竹取物語』、「五難題型求婚説話」と五人の貴人(貴公子)

 江戸時代末期に『竹取物語考』と言う本で加納諸平が、この五人(石作皇子・車持皇子・右大臣阿倍御主人・大納言大伴御行・中納言石上麻呂足)は奈良時代の「壬申の乱」に関係のある人物の名前であると推定している。

 また『竹取物語』には、かぐや姫に求婚する五人の貴公子の官職と名前がはっきり書かれている。確かにかぐや姫は竹から生まれた架空の人物かも知れないが、かぐや姫に求婚する五人の官職と名前が『日本書紀』に記載されていることから、この物語のモデルとなった場所、年代がわかってきた。

◆◇◆七夕と『竹取物語』、五人の求婚者の名前と難題物

 求婚者の名前と難題物、さらには語源譚を一覧にしてみるとその構成が巧みだ(「五難題」型求婚説話)。 また、五人「壬申の乱」(六七二年)に活躍した実在の豪族の名が使われている。

(1)石作皇子(いしつくりのみこ)-仏の御石の鉢-「はち(鉢・恥)を捨つ」:丹比嶋真人?(たじひしままひと)と同一人物
(2)車持皇子(くらもちのみこ)-蓬莱の玉の枝-「玉(魂)さか(離)る」:藤原不比等?(ふじわらふひと)と同一人物 
(3)右大臣阿部御主人(うだいじんあべのみうし)-火鼠の皮衣-「あへ(あべ)なし」:実名通り
(4)大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)-龍の頸の玉-「あな食べがた(難)」:実名通り
(5)中納言石上麻呂足(ちゅうなごんいそのかみのまろたり)-燕の子安貝-「かひ(甲斐・貝)あり」 :物部連麻呂(もののべのむらじまろ)と同一人物


スサノヲ(スサノオ)

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